死ぬのを思いとどまったのは日本国憲法のおかげです
だからといって護憲派というわけではないのですが。
(九条については全く触れません。あしからず)
小さい頃から大人の顔色をうかがう人生でした。
先生に否定されないように、話を良く聞き、挙手がなければ自分が挙手を担当し、出過ぎたと感じればわざと間違えて次の子に出番を譲りました。
自然と敬語も覚え、友達関係に目配りする余裕はなくなり、ストレスから小学校に通うのを体が拒否するようになりました。
今でも、「よく言うことを聞く子供」を見ると気持ち悪くなります。家族ドラマなんて見られやしない。
学校を休むようになっても、家には気を使うべき大人がいます。
大人に気に入られるような努力は家でも続き、心配させないように布団に入ってから枕で涙をぬらす日が続きました。
(枕がカビた。)
自分はいない方がよかった、生まれてきたのは間違いだった。すぐにでも死んだ方が、世の中のリソースを無駄食いしなくてまだマシ。
ずっと、そう思っていました。きっかけさえあれば死にたかった。死ぬのが怖いから死ななかっただけでした。
そんな感じで青春時代を終え、ゲームで気晴らしするひきこもりしてた頃に、憲法を読む機会がありました。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
日本国憲法
私は私でいい。親の顔色とか世間体とかそんなのは他人の都合。
私と他人は喧嘩しなければそれでいい。
そんな基本的なことを初めて知りました。
読んですぐに変わった、なんて劇的なものはありませんでした。
しかし、少しずつものの見方が変わり、「他の心理学もこれを基盤としているんだな」「うちの親の見方はこれと合っていないんだな」と考えられるようになり、
「自分で決めよう」「自分は自分にできることしかできない」「無理に苦手なことしなくても誰かに任せよう」という考えもできるようになってきました。
若い人は憲法読むという選択はどうでしょうか。
最近山ほど本が出てるアドラー心理学も、人の言うことは気にしないっていう考え方ですよね。
おまけ
神話を失ったひとと失ってないひと
生きていても良い根拠を「神話」と表現するのは面白かったです。